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山歩きを考える

山歩き、登山、ハイキング、トレッキング、ワンダーフォーゲルなどの意味と相違点

  一口に山歩きといっても、類似するいろいろの言葉があります。その言葉の意味について調べてみました。

・山歩き 趣味として山を歩くこと。 とよた 時さん作
・登 山 山に登ること。
・ハイキング 自然を楽しみながら野山や海辺などを歩くこと。
・トレッキング (山麓歩き)健康やレクリエーションを目的とした山歩き。また高山の山麓を徒歩で旅行すること。歩くスキーなどについてもいう。
・ワンダーフォーゲル ドイツ語で渡り鳥の意。山野を徒歩旅行する活動。青年運動として、20世紀初めドイツで始められた。(略称:ワンゲル)
        平成21年8月更新
ある高齢者から学んだ山歩き考
 「山登りと人生は登りよりも下りが難しい、一歩間違えばそれで終わりだよ。」これは笹子鉱泉でふと出会った元気な高齢者からの力強いメッセージです。          
 平成12年3月12日(日)この日は小雪まじりの中、本社ケ丸を目標に登り始めたものの、途中で雪がひどくなったため、予定を変更して中間の清八峠で引き返しました。
 下山後笹子駅へ向かう途中、私達は笹子鉱泉に入りました。その浴場にて裸でふれあった高齢の男性は、年の頃70歳を少し過ぎたくらいの人でした。「失礼ですがおいくつですか?」「見たところ、私の息子があんた達より年上だよ。」「息子さんはおいくつですか?」「息子は72歳だよ。孫が50歳、曾孫が29歳、玄孫が5歳。」いやー驚きました。「視力は左右1.0と0.8、眼鏡はかけたことがなく、耳も正常、病気はしたことがなく、今でもボランティアで自分より年下の老人を面倒みているんだよ。」元気な高齢者が多い世の中とはいえ、びっくりして次の言葉が出ませんでした。

 渋谷区に住んでいるという、その人は”吉沢さん”(仮名)その吉沢さんの次なるメッセージは、
@ 中高年の男性は定年5年前から、食生活と運動は特に気をつけて、健康に留意すること。
A 定年になったら車のハンドルとは縁を切って、ひたすら歩くこと。         
B 酒は焼酎が一番良い。高価な日本酒や缶ビールは避けた方が良い。(防腐剤)    
C インスタント食品は避けること。                        
D 野菜は虫がついたようなものが良い。大根、人参、ゴボウ、ほうれん草など色の濃い野菜を多く摂ること。  
何とこだわりを大切にした人生でしょう。ご本人の姿には”論より証拠”みただけで説得力がありました。                           
 この話が事実なら、今後おそらくマスコミが放っておかないと思いました。最後まで肝心な吉沢さん本人の年齢は語らず、考えさせるところが心憎い人でした。恐らく95歳前後でしょう。(あとでメンバーの一人が聞き出し、明治37年生まれの96歳だとわかりました。)
                 
「登りは力、下りは技術」それが山歩きの原点だとすれば、私達の年代は力よりも技術、下りを大事にして、転ばぬ技術を磨きながら、最後まで油断をせず、事故にならないよう心して歩きたいものせす。
 私達山の会も1995年の設立からすでに14年、今後とも老いと戦いながら、みんなで力を合わせて、末永く歩き続けられたらこの上ない幸せだと思います。                            

”どんな言葉で語るより、生きる力を探し続け、強く長く歩き続けよう”(NHK「生き物地球紀行」テーマソングの一説より)

平成21年8月記

中高年女性の山歩き

  山歩きのグル−プは、最近子育てを終わった、中高年女性だけのグル−プが目立って多くなったように思われます。
  家庭にあっては、もうそろそろ孫の子守りでも引受けそうな中高年女性たち。立派な登山靴に、重そうなザックを背負った数人のグループが、ズシリズシリ登って来るのに出合ったりすると、男性顔負けで親しみよりも威圧感さえおぼえます。
 従来は、家庭を守ることが美徳であって、家庭の主婦が山に登り、自然に親しむというようなことは想像もできなかったことでした。

  自然保護という運動が限られた特定の人たちだけの仕事であった過去の時代から、その運動が一般家庭にまで浸透していき、家庭の主婦や、子供たちが山を歩き、自然に直接親しんでくれることが、自然保護という心を育ててくれると思っていました。
  しかし、中高年女性の山歩きが、良いということばかりではないようです。近ごろ山野草をガーデニングや部屋に飾ることが流行していると聞きます。

  ビニール袋を持った、グループが通った山道の両側は、山野草が、あっという間に姿を消してしまいます。一人が一本の山野草を掘っても、三〇人なら三〇本の山野草が消えてしまうのです。一本ぐらいという安易な気持ちなのでしょうが? 
  一部の不心得な中高年女性の山歩きは、必ずしも良い事ばかりではないようです。
      
 
遭難の正体
 登山につきものの遭難は何故起こるのか、その対策をどうするか、ということは、ずいぶんと論じられています。トレーニングや、装備をどうすればとかいうのが対策とされているますが、もっと本質的なところを考えてみなければ、完全に遭難を防ぐことはできません。

 山に住む野獣を見てみましょう。かれらはしょっちゅう山を走り回っていますが、その割にはめったに遭難なんていうヘマはやらかさないのです。なぜか、その答は誰でも知っていて、彼等は自分のナワバリの中にいるからです。エサがそこにあるし、防寒具も身につけていて、いつまでに帰らなければクビにされるなどの心配がありません。

 人間だって自分の庭にいる限り遭難するバカはいないのと同じことです。 要するに環境が変わったときに、それについていけるだけの準備がありさえすれば、遭難などは起こるはずがないといってもいいわけです。

 ところが我々の住む人間社会と、自然界と環境の差はどんどん開いていきます。温度は調節され、食物は非自然物化され、身体を動かさないでもすべてが順調に運んでゆきます。駅もエスカレーターがついて、そのわきの階段を上る人はいなくなり、わずか一、二キロのところへ行くにも乗り物を使います。

 以前に比較したら、自然界との環境の差異はものすごく開いてしまい、我々はその違いにすっかりなれきっています。軽い気持ちでヒョイと別環境である山へ飛び出していけば、身体も何もかもが順応できにくいのは当然のことなのです。

 上手に切り替え出来るという条件を先ず身につけて、その上ではじめて装備だトレーニングだという段階がやってくるのです。昔よりもよけいなハンディをつけられているのが、現代の登山者なのです。

 山が好き、自然を愛すると口にいいながら、自分の行動についての用語に、征服する、攻撃する、敗退する、偵察する、無事退去すると言うような表現が平気で使われています。自分が自然界の一員であるならば、絶対にこんな言葉を用いるはずはないでしょう。
 遭難防止の本質は、自然環境に日頃からなじむよう、足腰を鍛えるばかりでなく、心身とも山に住む野獣のように、山を自分の庭のようなホームグランドにすることです。その為には一回でも多く山歩きすることが、最大の遭難防止訓練につながることを銘記すべきであります。

          西丸 震哉 著 「山歩き山暮し」 中公文庫
 
山歩きをいっそう面白くする考え方 ・コマクサの生息
・コマクサのこと
・何故海抜0メートルで高山植物が
・カールとツンドラ
 多彩な美しさに満ちた、日本の山の自然はどうして出来たのしょうか?
 このコーナーは植物の分布や地形・地質の不思議を解き、山歩きをいっそう面白くしようとする山の自然学への入門なのです。
 !世の中にはものを調べる楽しみ、知らないことを知る楽しみがあります。!

例えばコマクサの生息
 「あっ、コマクサだ。きれいだなあ。写真を撮ろう。」で終わるのではなく、「どうしてここにコマクサがあるのだろう?と考えるとそこから山の自然学がはじまります。コマクサの生えているところは、例外なく砂礫地で白い岩石の付近に限られ、この岩石は風化しやすいから砂礫地ができたのです。即ちコマクサは高地において、白い岩石→風化作用→砂礫地→コマクサという順で現出するのです。

 しかし、中央アルプスの千畳敷
カールで有名な木曽駒ヶ岳では、この条件が揃っているにもかかわらずコマクサは薬草として採りつくされた為、残念ながらこの地には現在分布していないのです。

コマクサのこと
コマクサは本州中部以北の高山に生え、高さ10cm紅紫色花を下向きにつけます。上から見ると馬の顔に似ていることからその名がつきました。コマクサは高山植物の女王と言われます。
それなら、高山植物の王様は何でしょう? 「それはあなたです。」

何故海抜0メートルに高山植物があるのか
 北海道の礼文島には、海岸から高山植物が生育しているので有名です。お花畑の風景も高山帯とほとんど変わらず、百花繚乱、まさに「花の浮島」の名にふさわしいのです。

 何故海抜0メートルから高山植物が展開しているのでしょうか。日本最北だから当然という考えもありますが、同じ緯度の大雪山では海抜1600メートルを超えなければ高山植物はありません。北のカムチャッカやサハリンなども、高山植物は高地か北極海沿岸の
ツンドラまで行かなければ見ることはできません。

 何故でしょうか。ここの高山植物は氷河時代の植物群がそのまま生き残ったものと考えられます。この現象を「レリック」(残存)と呼びます。

カールとツンドラ
・カールとは、氷河が山肌を削り取った跡。2万年前、氷河期の氷で削り取られたお椀型の地形。中央アルプスには日本を代表する「千畳敷カール」、「魂ケ池カール」があり、「千畳敷カール」は高山植物の宝庫として知られています。

 日本の代表的なカールは、薬師岳のカール群、木曽駒が岳の千畳敷カール、
穂高岳の涸沢カール日高山脈のヒツ沼カール・・・などであります。

・ツンドラ
とは、極北地方に見られる木のない広大な環境をいいます。ツンドラでは永久凍土(凍った地下層)のため、水はけが悪いので水たまりや小さな池が点在します。

     小泉 武栄著  「山の自然学」 岩波新書 1998年1月 ほか
        
「氷 壁」を読んで 井上 靖 著 (新潮文庫)       1999年2月

山岳博物館の写真
滝谷の登攀
岩は,部分的に極度に脆い
 長野県大町市の山岳博物館には,問題の切断されたナイロンザイルが展示されています。また、小坂の妹が魚津の帰りを待っていた徳沢園の近くには、ザイル切断事件で実際に遭難死した若山五郎という方の遭難碑が今も残っているそうです。
 氷壁は井上靖の力作で、二人の若い登山家、魚津恭太と小坂乙彦が前穂高の難所に挑む男性の友情と、共通の恋愛をテーマとしたドラマチックな物語であります。 時は昭和30年代、正月の元日、真冬の前穂高東壁に挑む二人は、あと10メートルで頂上という時に、先頭を登る小坂乙彦のナイロンザイルが突然切れて、小坂が不慮の事故死を遂げます。

 物語は、この事故死をめぐって原因は何か? 切れない筈のナイロンザイルは本当に切れたのか? 物理的なものか、人為的なものか、或いは外的なものか、問題は、社会的なスキャンダルとの戦いを含めて、恋愛がからまり、色々な思惑の中、窮地に追いつめられる魚津恭太、自殺説、他殺説、ザイルの欠陥説等ザイルをめぐりドラマが展開されます。

 そして、最後には魚津も又落石の多い危険地帯に踏み込んで行くのです。徳沢小屋で待つ恋人(小坂の妹、かおる)との約束を果たす為に、魚津は危険を承知で前へ前へと進み、落石の犠牲となって生涯を閉じるのです。

 一方、魚津の上司、常盤大作は魚津の死を心から悲しみ他の部下へ必死に語りかける。クライマックスは常盤大作の次の言葉に集約されます。
 「魚津は何故死んだか? それははっきりしている。彼が勇敢な登山家だったからだ。勇敢な登山家という奴は、極言すればみんな死ぬと僕は考える。死んで当たり前じゃないか。最も死の確率の高い場所へ身を挺するのだから、これは死ななかったらむしろ不思議である。

 魚津君はこんど例え無事だったとしても、彼が現在持っている勇敢さを失わない限り必ずいつかは山で死んだ事だろう。
 大体登山というものは、そんな死を賭けたものではなく、一種の近代的なスポーツだという人もあろうが、僕は反対する、登山の本質は決してスポーツではない。人間がヒマラヤを征服したのはスポーツではない筈だ。

 大体登山をスポーツと思うのが間違いのもとである。毎年のように大勢の生命が山で失われている。あれは登山をスポーツと考えることから起こる悲劇である。あらゆるスポーツには、ルールがある。登山をスポーツにするなら登山にもルールを作れ。ルールが出来たら少しは遭難が少なくなるだろう。ルールのないスポーツなどあり得ない。

 大きな違いは、あらゆるスポーツには、アマチュアとプロの区別がある。しかし、登山にはそれがない。アマチュアが二、三度山へ登るとみんなプロになったつもりになる・・・・・・プロというのは魚津恭太のような登山家のことだ。そのプロの魚津君でさえ死んだではないか・・・・・・」

 この小説を通じて登山に関して思うことは、一つしかない生命を山で滑落、転落、落石等の事故から免れる為には、登山の計画に対しては、くどい程憶病で、危ないと思ったらいさぎよく取りやめる勇気が最も必要です。それがこの小説から得た私の貴重な結論であります。


「八甲田山死の彷徨」を読んで



   新田 次郎著       1999年4月
 八甲田山死の彷徨は、明治35年1月末に青森歩兵第5連隊の210名が八甲田山へ雪中行軍に出掛けて吹雪に遭い、119名の死者を出した大事件をテーマにしたものであります。

 遭難の原因を作った張本人と云われる山田少佐が死の直前に「おめおめと生き残ったのは連隊長にすべてを報告したかったからです」そして彼はぼつぼつと話し出した「今回の遭難の最大の原因は 1自分が山と雪に対しての知識がなかったからである 2自分が神田大尉に任せておいた指揮権を奪ってしまった事である」

 師団長立川中将「お互いに軍人というのはつらいものだ。軍人は常に仮想敵国を作って戦っていなければならぬ。同じ師団の同じ連隊同士でも仮想敵とならねばならない・・・・・ところでどうだな、雪の八甲田山攻略作戦は一体どちらが勝ったと思うか」津村中佐「勿論第5連隊の負けであります」師団長「いや第5連隊は勝ったのだ。199名という尊い犠牲を出して戦いに勝ったのだ。

 この犠牲で高級官僚どもがやっと我々の要望を取り上げ、防寒に対する装備の強化につながった」「最初は5連隊の首脳部に対して批判的だった世論も、現在ではやむを得ない遭難と考えるようになり、全国民が寄せたあの義捐金の額をみても同情の度合いが分かる。不名誉ではない、雪と勇敢に戦った、その結果だと思えばいいのだ。だからといって31連隊が負けたのではない。31連隊は立派に勝った。おそらく31連隊がやりおおせた、あの壮挙を二度とやることは当分出来ないだろう。

 そもそも勝利とは何ぞや」 参謀長中村大佐「師団長、両方が勝つという戦争があるのですか」師団長「それはある。川中島の合戦では武田・上杉双方が勝った、勝ったと宣言した。大戦争になると勝ったか負けたかの見分けが難しくなる。勝ったと思えば勝ち、負けたと思えば負けになる」雪中行軍隊210名中、死者199名、生存者11名(生存者には両手両足裁断や両足裁断した者が8名含まれる)障害者8名は独身で当時嫁の希望者が殺到した。夫が不具者であることは夫の栄誉を物語るものであり、それは生きている勲章である。

 この遭難の原因を総括すると、第8師団が第31連隊と第5連隊に雪中行軍競争を強いたことにあったのです。すべては日露戦争を捉えての軍のあせりが原因であったようです。

 原因を具体的に要約すると
 1 雪に対する無知   2 突発的な気象の急変   3 命令系統の乱れ
にあり、結果においてはこの雪中行軍競争に勝った31連隊の名はさっぱり上がらず、負けた第5連隊の名前の方が日本中に知れ渡る事になりました。皮肉な結果であります。
 このことは山歩きの軍事訓練を通じた遭難の中で、わが国史上最大の悲劇でありましょう



「ただいま雲の上」を読んで


    みなみらんぼう著        1999年7月

 黒戸尾根から挑んだ甲斐駒に始まり、アフリカのキリマンジャロで締めくくった「だだいま雲の上」は、さわやかな山日記で、山の魅力を読者にたっぷりと伝え、山を楽しむエッセイであります。
 文章の構成や流れは、山の自然と山の各地で出会った人々との関わりを軽いタッチで描写し、小説家で例えれば赤川次郎の様な感じです。何故ならば、表現が重々しくなくて、何気なくサラリとした感じでありながら強いインパクトを与える技術と、広い視野に基づく内容構成に、読み出したら夢中になり、一気に読んでしまう組立は、現代流行作家の雰囲気があります。

 みなみらんぼう氏は199年に登山ブームの引き金となった、NHK教育テレビの「中高年のための登山学」で、岩崎元郎氏の相手役(レポーター)として登場以来、その知名度が急激に上がり、文字通り今や中高年登山者の輝ける星となりました。
 この本を読むと山歩きをやっている人は、益々山への意欲を増すし、まだ山歩きをしていない人は、今から初めてみようか、という気になってくるのではないでしょうか?

 特に山のこと、お世話になった山小屋の人、一緒に登った山仲間の事などがリズミカルに紹介され、関係者一同が心地よい読後感に浸ります。

 文章の中で「ゲェー」とか「うーん」とかの表現に関わる前後の意味が何とも味わい深いものがあり、思わずニンマリしたくなります

 ネパールトレッキングでは、登山装備のことで、今や靴もシャツもリュックも改良が進んで良い物になった。しかし、ネパールの人々はゴム草履や、時には裸足で山道を歩いている。もちろん40キロや50キロの荷物を背負ってである。 我々日本人も、かつてはこのようだったのだろうし、そう思うと文明というのは、肉体退化の歴史のことでもあるようで、複雑な思いにとらわれるのだった。ともあれ、脆弱な文化人である我々日本人はその分装備で補うのがセオリーという訳だ。・・・・・etc

 このあたりは、文明の発展と肉体の退化が反比例していく様に、説得性があり興味深かく読みました。
 私はこの度、縁あって、山仲間のKさんの紹介で、平成11年6月に「らんぼうさんと登る北海道の山」に参加し、2泊3日を共にしたことがあります。直接触れて見て、らんぼうさんの人柄は気取らず、紳士でしかも物知りで、ユーモアに富んで親しみの持てる人でした。

 その反面、取材とはいえ、強い風雨の中でも十勝岳の尾根(8合目)まで、それこそ、限界まで挑戦する厳しさには、驚きました。
 私は毎年、年末に行われている、みなみらんぼうさんのコンサートには、欠かさず参加してその人柄に接する大のフアンでもあります。

2006年3月1日から
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